Arts & Culture
私たちは「地域は文化」だと考えています。日本という国は、地域の文化の集積で成り立っています。地域がなくなるということは、自治体がなくなること以上に、この国をなす文化を失うことになることに危機意識を持たなければいけません。そもそも文化とはなんでしょうか。余暇で行う趣味のことのように捉えている方も多いでしょう。私たちは、文化とは「共に生きる術」と考えています。人は一人で生きていけません。人と人を結びつけ、共に生きる上で不可欠なものとして、人は文化をつくりました。「アートと文化」プロジェクトで目指すものは、この地域の歴史や記憶を時間をかけて記録し、アーカイブすることと同時に、未来に向けて更新していくことで、文化としての地域を未来に紡いでいくことです。
「西周の音楽をつくる」プロジェクト
with 多田泰教+Less Is More &つわのコーラス(津和野中学校・津和野高校合唱部)、2023-24
西周を通して未来を見る
TMCは「キャンパスのようなまちづくり」をスローガンに津和野の活性化を図ろうと考えています。それは過去の伝統文化、文化遺産をみる観光のまちとしてだけではなく、現代社会における津和野の意味を再価値化することによって、大学生以上の若い世代から幅広い層が共に、学び、暮らすまちになることを目指しているものです。
現代社会は様々な問題に直面しています。近代以降の科学技術の進展によって形作られた世界のあり方、科学技術に頼った解決だけでは限界が見えてきているように思えます。ヨーロッパがつくり上げた科学の概念だけでない、新しい科学のあり方が必要なのではないだろうか、その考え方を私たちが暮らすアジアに根付いた自然観から学び直す必要があるのではないだろうか、そんな問いかけを根底に持って、子どもたちの未来を考えていきたいと考えています。
私たちには子どもたちに未来をつくる学びを提供する責務があります。その指針に、津和野が産んだ偉人、西周の語った言葉を、もう一度読み直したいと考えました。西周は、西洋の概念を東アジアで先んじて翻訳し、日本の近代国家への道を切り拓いたことで知られています。彼が目指した森羅万象のような「百教一致」「百学連環」の学として哲学を志ざし、見ようとした世界は、反して近代以降の欧米、明治以降の日本において専門性の特化したことによる進展と同時に生まれた諸学問領域間の断絶は現代社会の諸問題を生み出したと言えます。それが私たちが西周に再び着目する理由です。
西周を「音楽」にしようと考えたのは、この人物を学問としてではなく、文化として共有するべきだ、という思いからです。「百学連環」の精神に倣えば、音楽と学問の間に境をつくる必要はありません。音楽は現代では録音技術による再現性がありますが、基本的に一度限りの演奏です。それが語り継ぐ人と人との繋がりを具体化します。それが演奏、つまりLIVEー生きる、ということにも繋がります。何より音楽であれば、子ども達から大人まで、また地域を超えて共有し、伝播することも容易でしょう。
西周は、この津和野でどのような環境で生きたのでしょうか。それは想像でしかありません。しかし津和野百景に描かれたような世界で、今も変わらぬ津和野川や水路のせせらぎ、津和野踊り、鷺舞のリズムの中で生きていたのでしょう。そうした西周の心情を想像するに、鷺舞のリズムが大きな鍵となって、私たちの想像を膨らませてくれます。研究者が指摘する鷺舞のリズムに潜在しているヨーロッパ中世の教会旋律との類似性は、こうした私たちの想像に拍車をかけます。もしかしたら当時のヨーロッパと日本の中世はある共通したリズムを持っていたのかもしれません。どちらにせよ、私たちはこの鷺舞の旋律を暗喩ーメタファーとしてとして、西周の中にあったであろう西洋とアジアの自然観の異なりと、なんとかそこに繋がりを持たせようとした葛藤を表現することを、音楽家多田泰教に託しました。
「津和野を纏う」with 津村耕祐、2022
西周を通して未来を見る
初回となる津和野会議2019に、津和野におけるアートのあり方を探るために、写真家齋藤彰英を招聘し、このまちの潜在的な
川底に住まう魚 / Fish living the bottom of a river with 齋藤彰英、 2019
西周を通して未来を見る
初回となる津和野会議2019に、津和野におけるアートのあり方を探るために、写真家齋藤彰英を招聘し、このまちの潜在的な